神が私に語ったこと

もし神がいるのなら、どこにいるのでしょうか。神は私たちの心の沈黙の中にいます。その沈黙の中から何かを語りかけています。その神は無言で語りかけています。私たちはその神の言葉を聞くことができません。それに気づくことができずにいます。そのため、私たちは神を信じていたとしても、その存在と直接触れることがないと思っています。

もしその沈黙の言葉を聞くことができたなら、神は何を語っているのでしょうか。そしてそんな神に私たちは何を尋ねるでしょうか。それは自分の将来のことでしょうか。自分の使命でしょうか。あるいは自分にはどんな仕事が合っているかでしょうか。神はそれに答えるかもしれませんが、それらは神が本当に伝えたいことではありません。私たちは神への正しい質問をするべきです。そうしなければ、神は伝えたいことを語ることができないのです。

その質問とは神しか知り得ないようなこと、つまり私たちの存在の根源についてです。その答えは、神が私たちに伝えたいことは、神とは私たち自身だということです。もし神がそう言ったのなら、私たちは自分が神だと知って喜ぶかもしれません。それは何か素晴らしいことだと感じます。

しかし、それには何の実感も伴っていません。神の言葉が真実であるなら、私たちは自分が神だということを実感を伴って感じる必要があります。そうでなければ、それをただの物語として受け取り、昔話のようなひとつの記憶にしてしまうでしょう。確かな実感を伴うことで、初めて神の言葉が生きたものとなります。

この物語では「私」は神であることを疑います。さらに神であることを拒否します。神はそんな「私」に自分が神であることを諭していきます。「私」は自分についての本音を語り、神もそれについて真摯に答えていきます。もちろん真実をすべて言葉で言い表すことは不可能です。神の言葉はそれを受け取った人の心の中で消化され、神聖な感覚に変容し、そして言葉を超えた気づきを引き出していくものです。

神の言葉は単なる知識ではありません。それは「私」の中に眠っている未知なる可能性を目覚めさせるものです。

2015年12月7日 出版


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空風瞑想

空風瞑想は真我実現の瞑想法です。瞑想を実践する中で、いままで気づかなかった心の新しい扉を開き、静寂でありながらも存在に満ち溢れ、完全に目覚めている本当の自分をそこに見つけていきます。そうして「私は誰か」の答えを見つけ、そこを自分の拠り所にするとき、新しい視点で人生を見つめることができるようになります。