超人ザオタル(97)狂気の熱意
一度、自分が存在だと理解したなら、そこから逃れられなくなります。
その理解は行楽地に行って楽しんで終わりというものではないのです。
それは自分という存在を完全に変えてしまうこと。
いや、変えるという言葉も正確ではありません。
正しくは、そこで元々の自分の姿を知ったということです。
それは今までの誤解に基づく認識を改めることを意味します。
その存在が現実の自分なわけですから、もう変えようがありません。
それは体験ではなく、自分のこの瞬間の真実なのです」
私の話をシュマは頷きながら目を輝かせて聞いている。
「確かに、体験では一時的なことに過ぎなくなる。
体験や記憶ではなく、それが自分の当たり前になるということですか。
それは可能なことなのですね」
「もちろん、それは可能なことです。
可能ですが、そう簡単なことではありません。
そうなるための修練が必要になります。
そして、その修練にはあまり動機づけがないのです。
なにしろ、そうなったとしても何の価値もなく、
誰からも評価されませんから。
それには、それでも修練をするという、
いわば狂気じみた熱意といったものが必要なのです。
それは本当の自分というものを知ってみたいという、
損得勘定抜きの純粋な欲求とでも言いましょうか。
そうなるためには、魂の成熟を待たなければならないかもしれません」
私はまるであの草原の岩山にいるような気がした。
「私はその魂の成熟に達しているのでしょうか。
お話を聞いて、私はその本当の自分を知りたいと願っています。
そこに私の求める答えがある気がするのです。
他の物事では何も満足する回答を得られませんでした」
「それは修練を始めなければ分からないかもしれません。
途中で熱意が冷めて、やめてしまう人も多いと聞いています。
それはあなた次第です、シュマ殿」
そう言った私の言葉を聞いて、シュマの顔が少し曇った。
「そうなのですね。
それは自分の強い意志として持っていなければならない。
ところで、その意志とは私の意志ということでいいのでしょうか。
そうすると決める自由意志が私にはあると。
さらに言うならば、運命というものは私が決めている。
こういった機会が運命をつくり、そこから運命を変えることができる。
本当の自分を知ろうとしているのもこの運命を変えるため。
そう向かうのは私の意志であり、私の決断であるということでしょうか」
「それは少し難しい問題になりますよ、シュマ殿。
自由意志というもの、つまり自分の意志というものはないのです。
そのすべては世界の意志のひとつに過ぎません。
つまり、それは世界の意思とも言うべきものになります」
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