超人ザオタル(98)世界の意思

私は続けた。

「そうでなければ、世界の動きは統制が取れなくなります。

世界には世界の流れというものがあり、

どう流れるかはすでに決まっています。


それを運命というのならば、運命を変えることはできないということです。

ただ、その運命がどうなるかは、だれも知らないのです。

世界の意思はそれぞれの個人に自分の意志として発現します。

それは世界の意思ですが、自分の意志として受け取られます。


そう受け取ることが自然でしょう。

そうでなければ、まるで自分が操り人形のように思えてしまいますから。

もし、シュマ殿が本当の自分を知りたいと思うのなら、

それは世界の意思ということになります。


もし、本当の自分を知りたいという熱意が冷めてしまうのなら、

それもまた世界の意思だということです。

その意志は熱くなったり冷めてしまったりするでしょう。

それも世界の意志であり、自然なことです。


さらに、もし本当の自分を知ろうと絶え間なく修練を続け、

あらゆる検証に耐えうる自分の真実に至ったならば、

それもまた世界の意志であり、自然なことになります。

世界は気まぐれな暴君ではなく、本当の自分を知りたくてもがいているのです。


その事実がすべての人の行動を真実の探究へと向かわせるでしょう。

もしかすると、それは遠回りに見えるかもしれません。

おびただしい失敗の山を築き、失意の底に沈むかもしれません。

それでも、そうして真実を知ろうとしているのです。


この先、シュマ殿がどうなるかは分かりません。

ただ、その意志に火がついたなら、やるべきだとは思います。

世界がそうしたいと願っているのですから」

陽の光がすべてを慈しむように降り注いでいる。


それを浴びて、私たちはこの場所、この時間を共に過ごしている。

それもまた、世界の意志なのだ。

個人がこの世界の意思を超えることはできない。

この生命の機会を与えるのは世界であり、奪うのも世界なのだ。


「まだ、お話をうまく飲み込めませんが、なんとなく分かる気がします。

私はこの人生で何をすればいいのか分かりませんでした。

何かをしなければという思いはありました。

思いついた何かをしてみても、本当にこれがしたいことなのか、


そんな疑いが常にありました。

虚しくなって、生きることが苦しくなったこともあります。

それでも、まだ答えが出ていないと、歯を食いしばって生きてきました。

それで寺院での教えに救いを求めました。


それは私に今までと違う可能性を与えてくれましたが、

求めている答えに行き着いたわけではありません。

高徳な師の教えを暗記しても、行動を正しても、

私の求める真実に行き着いたわけではないのです。


私自身が真実にならなければならない。

それが世界の意志であるなら、

私は喜んでこの身体と心を捧げようと思います」

そう言ったシュマは晴れやかな顔をしていた。


空風瞑想

空風瞑想は真我実現の瞑想法です。瞑想を実践する中で、いままで気づかなかった心の新しい扉を開き、静寂でありながらも存在に満ち溢れ、完全に目覚めている本当の自分をそこに見つけていきます。そうして「私は誰か」の答えを見つけ、そこを自分の拠り所にするとき、新しい視点で人生を見つめることができるようになります。