超人ザオタル(100)探究の覚悟
「さて、シュマ殿が理解すべきことは、自分とは誰なのかです。
自分の真実とは何か。
自分は自分でありながら、いまだこの答えを見つけていないのです。
その答えを見つけることは簡単で難しい。
その答えはひとつしかありませんが、見つけ方は様々にあります。
さらに、これはどのような人間になるか、ではありません。
どのような人間になるかは、世界から何かを見つけて身につけることです。
それは自ら自分の真実を隠しているようなものです。
自分の真実を知るためには、
その身につけているものを手放さなければなりません。
それは世界から受け取ったものを捨てるという単純なことではありません。
たとえ、そんなことをしても、自分の真実など現れては来ないでしょう。
真実を知るために、放棄の道を選ぶ者がいます。
もちろん、放棄の道も、最後には真実に至ることができます。
しかし、それはとても厳しい道なのです。
あまりに厳しすぎて、その道で真実に至ったものはごく少数でしょう。
寺院で勧められている修練も多くは放棄の道でしょう。
放棄の道は、完全に放棄しきらなければなりません。
それが人にはなかなかできないのです。
少しは何かを自分に残そうとしてしまいますから。
自分の真実を知るための方法としては探究がいいでしょう。
探究とは自ら真実を直接つかみとる方法です。
そうしてつかみ取ることができれば、その時点で放棄も完了しています。
ただし、この方法も難しい面があります。
何が真実なのかを間違わないようにしなければならないということです。
人は自分が信じたいものを信じる傾向があります。
真実らしいものを見つけたなら、多少の疑惑があっても、それを真実にしてしまいます。
そうなれば、偽りの真実を自分の拠り所としまうことになります。
偽りの真実はいずれ破綻し、その心に深い傷を負うことになります。
またそこから立ち上がることもできますが、それはとても大変なことです。
そうならないために、真実を見つけたなら、
確証を得るまで、それを自ら厳しく検証していく必要があります。
もし少しでも晴れない疑いがあるなら、真実として認めないことです。
この厳しさがあるなら、探究という方法はうまく機能するでしょう。
いずれにしても、自分の真実を知ることは一筋縄ではいきません。
ある程度の苦労する覚悟は必要になります」
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