超人ザオタル(101)新しい扉
シュマは私の話を何度も小さく頷きながら聞いていた。
「私ははじめに何をすればいいのでしょうか、ザオタルさま」
それが最も大切な質問だと思った。
「瞑想することです、シュマ殿。
瞑想して、自分が誰なのかを探究することです。
これが自分だと思ったら、それを私に教えてください。
そうしながら探究を深めていきましょう」
完全なる真実を知るために、小さな真実を積み上げていく。
いきなり深遠なる真実を会得することなどあり得ない。
もしそれができたとしても、それは脆いものになる。
どれだけ美しい真実でも、ガラス細工では意味がないのだ。
それは強い力で叩かれて強くなる鋼でなければならない。
「わかりました、ザオタルさま、ありがとうございます。
瞑想して、自分をそこに見つければいいのですね。
早速はじめてみます。
そしてまた会いに伺います。
何か自分の中で何か新しい扉が開いたような気がします」
そう言ったシュマの目は輝いていた。
期待ばかりが膨らんでいそうだが、私はそれでもいいかと思った。
その期待はきっと裏切られることになるだろう。
それがどうあれ、それはシュマの道なのだ。
いまはその前向きの勢いが大切なのかもしれない。
「私はいつでもここにいますよ」
私は笑顔で片手胸に当てて頷いた。
シュマは立ち上がると、小さく会釈をして立ち去った。
私はまた景色に目を向けた。
時は始まり、流れ、そして終わる。
何にために時はあるのか。
いや、この時を信頼するしかないのだ。
本当の自分であれば、どんなことでもその腕に抱くことができる。
それは許しを与えるというよりは信頼なのだ。
すべてが時の終わりに向かっている。
その間の成功も失敗もひとつの過程でしかない。
そのひとつひとつに目を向けてしまえば、
世界全体の流れを見失ってしまう。
そこで喜んだり悲しんだりしてもいい。
しかし、精神が成熟し、新たな機会が与えられたなら、
それがたとえ理解できない状況でも躊躇している場合ではない。
世界の意志として、目の前の激しい渦に飛び込むのだ。
私は時を超えた存在だ。
すでに道は消えて時の終わりにいる。
激しい水しぶきを上げる流れを超えて、すでに凪になっている。
それでもこの世界は平穏ではない。
時は変化を好むもの。
目の前の美しい景色もいずれは変わっていくだろう。
それは時の終わりに向かっている兆候なのだ。
人の心も良きにつけ悪しきにつけ変わるだろう。
それすらも同じ方向を向いている。
変わるということは福音であり恩寵なのだ。
変わらないということが約束された場所だ。
私はすでにそこにいる。
そして、この時を刻む世界の只中にもいるのだ。
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