超人ザオタル(102)誰の幸せなのか
「人は幸せを求めています。
それはいいことなのでしょうか、ザオタルさま」
翌日、シュマが会いに来てそう尋ねた。
私は昨日と変わらない穏やかな景色を眺めていた。
「あなたはどう思うかね」
そう私が言うと、シュマは少し黙ってから話し始めた。
「・・・、この世界では誰もが幸せを求めています。
もちろん私もそうだと言わざるを得ないでしょう。
自分の身体や心を満たし、歓びや心地よさに浸る。
しかし、それは人それぞれに考えがあります。
誰かの幸せは、他の人の不幸にもなりえます。
そうすると誰もが幸せなることは難しいことに思えます。
もし自分が幸せになっても、誰かが不幸になるのであれば、
その幸せに価値はあるのだろうかと。
自分が不幸になって、誰かが幸せになること。
それは美談にはなりますが、何か悲しいことにも思えます。
それに幸せは変わっていくものです。
世界が変わる限り、幸せを永遠に維持することはできません。
自分の考えも変わります。
いまある幸せでは満足できなくなることもあります。
さらなる幸せを求める。
これはその時点で幸せではなくなることを意味します。
幸せを求めることはいいことなのかもしれません。
しかし、その幸せはいずれ必ず去っていくもの。
そうであるなら、果たしてそれを求めることに価値はあるのか、
そう考えてしまうのです。
どれだけ追い求めても幸せになることができないのであれば、
幸せになるための人生は虚しいものになる気もします。
・・・、この私の考えは間違っているでしょうか」
シュマはそう言って自信なさげに目を伏せた。
「シュマ殿、その考えは間違ってはいません。
幸せはその考えひとつで変わってしまうもの。
そこでの問題は何が幸せなのかではなく、
誰が幸せなのかというところにあります。
いったい誰が幸せを求めているのか。
それは自分だと言うかもしれませんが、
その自分とは誰なのでしょうか。
それが分からなければ、幸せの価値さえ朧気になります。
どのような幸せになるかは大事なことですが、
その前に、誰が幸せを望んでいるのかを知ることです」
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