超人ザオタル(116)唯一の希望
ほんとうに真の「私」には何の力もない。
自我はこの世界で力を得るために努力してきた。
それを捨て去って、無力になることなど意味がないと主張するだろう。
そして、さっさとこの問題を終わりにして、世界に戻ろうとする。
世界には努力して得られる幸福に満ち溢れているのだ。
時間を無駄にして、その機会を失うことのほうが恐ろしい。
そんな自我の主張は的を得ているように思える。
ほとんどの人はその主張を認めて、世界へと戻っていく。
ただし、真の「私」がこの世界で何かしらの利益を与えてくれるならば、
それを認めてもいいと取引きを持ち出すかもしれない。
もちろん、何の力もない「私」がそんなものを与えられるはずもない。
この世界での幸福も成功も自由も実現させることはできないのだ
もし「私」がこの世界での利益を確約するなら、
それは真の「私」ではなく、自我の願望が生み出した妄想であるといっていい。
世界を超えたところの存在である「私」が、
世界に何かしらの影響も与えることなど不可能なのだ。
そんな圧倒的な強さを持つ自我ではあるが、
それに対して懐疑的な見方をする者もいる。
「私」はほんとうに自我なのだろうか。
自我の主張に沿って生きることが正しいのだろうか。
世界で幸福になることが望んでいることなのだろうか。
どんな幸福でさえ、世界の変化によっていつかはほころびるものだ。
そうだとするなら、世界にいる限り、そこに求めるものはないも同じだ。
結局のところ、幸福は不幸を、成功は失敗を、健康は病気を待っているのだ。
唯一の希望は、扉の向こうの「私」に託される。
自我はその「私」が何かを知ろうとする。
「私」とは存在のことだ。
真我とも呼ばれている。
その存在は瞑想を通して知られることになる。
瞑想は心の奥の扉を静かに開く。
自我はそこにある存在を感じて、それとひとつになる。
ひとつになることで、それが何かを理解するのだ。
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