超人ザオタル(29)見つめる者
私の中は混沌としていた。
どちらが真実なのかを、静けさと嵐が競っているようだ。
そして私はどちらも真実にしたいと思っている。
いや、正直に言うと私は嵐を味方につけたいとも願っていた。
道を歩くことは苦難の連続だった。
その苦難こそが自分の本質かもしれないのだ。
もしそれが自分であるなら、何も恐れることはない。
そこにいれば、静けさが破られることを心配することもない。
苦難は私を強くし、誇り高い人間にしてくれる。
どれだけの苦難を超えてきたのかが人間の価値なのだ。
そうでなければ、軟弱で無知な浅ましい人間に成り下がる。
それは自分であることを放棄した無価値な人間だ。
いくらでも高められる力があるのに、それを怠惰から無視している。
苦難を避けて、楽をすることばかりに逃げ込んでいる。
それは私の道ではない。
だが、それで私は何を見つけるのだろうか。
誇り高く力強い自分になることで、それを道の終着地にしていいのだろうか。
それで私は怠惰で無知で浅はかな人間に落ちないと保証できるのか。
そうなる可能性はいつでもあるのだ。
そうであるなら、そこは道の終着地ではない。
その向こうに道がまだある。
私はまだ静かな心の奥底にとどまっていた。
そこで飛沫をあげて渦を巻く激しい水の流れを見つめていた。
それが私の思考なのだ。
思考はその自由と素直さで、現れては消えていく。
それは正直者なので、尊重しなければならない。
だから、排除せずに見つめていたのだ。
実際に私は気持ちさえ高揚させて、その言葉に耳を傾けていた。
誰がそれを見つめ聞いていたのだろうか。
私がそこにいる。
だから、思考は存在できる。
自由に発言することができる。
思考は消えていくが、そこで私が消えることはない。
いつでもそこにいる。
私は瞑想でそこに戻るために、とても長い道のりを歩いた気がした。
瞑想から出ようと意識した。
次第に身体の感覚が戻ってきた。
椅子に座っている自分が現実に浮き上がってくる。
呼吸を整えて目をゆっくりと開いた。
部屋は少し冷えていて、夜明けの光が赤く窓から差し込んでいた。
私はまた道を歩く時が来たことを悟った。
ここでとどまり続けることは終わりだ。
もう一度心の中の道を行く。
それが自分の歩く道だと思い出したのだ。
道の終着地はここにあると感じていた。
だが、それはまだまだ遠くに感じられた。
私の中では道の分岐が続いているようにも思えた。
それでも、私はまたそこを行く決意を固めていた。
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