超人ザオタル(31)道の証明
私はタロマティの言葉にかつての自分を見た気がした。
「道を見つけることには様々な姿があるのだ、タロマティ。
それぞれに道を見つける時と場所と方法がある。
だが、道の終着地はひとつしかない。
それが本当の自分だ。
それは誰にとっても同じ場所になる。
あなたもその道の途上なのだ。
誰にとっても同じでなければ、それは終着地ではない。
だから、タロマティのいるこの草原の村は終着地ではない。
あなたのその考えも道の途上であれば尊重できる。
道の途上は最終地の匂いさえ漂っているだろう。
だが、それは途上であることの証でしかないのだ。
タロマティは瞑想での自分を知らないだろう。
その自分を知らないということは、まだ道があるということだ。
それは目の前にある道を無視し続けていることだ。
自分の価値というものを思い込みの概念に縛りつけている。
その価値は本当に自分だといえるだろうか。
それは世界での価値であって、自分ではないのではないだろうか。
確かに世界での暮らしは尊重するべきものだ。
だが、そこにとどまっていては道を放棄していることになる。
それを放棄していては、いつまでも終着地には到達しない。
自分とは誰なのか、本当にそれが自分なのか。
そこを徹底的に突き詰めて、完全にしなければならない。
残された道とはそういうところだ。
それは簡単な道ではない。
とても苦しい道になるだろう。
何が本当なのか分からなくなって混乱するかもしれない。
それでも道は目の前にのびている。
実際には、本当の自分とは完全そのものだ。
自分を完全にするのではなく、すでに完全である自分になるのだ」
私はいったい誰が話しているのだろうかと思った。
まるで私の口を借りて誰かが話しているようだ。
しばらく何かを確かめるように沈黙が続いた。
アルマティは静かに私の目を見つめている。
「それが本当の話だとして、実際に終着地に着くことはできるのでしょうか、ザオタル」
タロマティが静けさを破ってそう言った。
「私はまだ終着地に着いていないのだよ、タロマティ。
だから、そこがあるとは言い切ることが出来ない。
だが、それは目の前にあるのだ。
そこが終着地だと分かる。
私は長い道のりで、ここが終着地だと思えるところに着いた。
だが、着いてみれば、そこはまだ道の途上だったのだ。
だから、何が道の途上なのかは知っている。
ただそこだけは明らかにその途上ではない。
もちろんそれは実際に着いてみなければ分からないこと。
これは言葉ではなかなか伝えることが出来ない。
それでも、私は確かにそれをつかんでいる。
あとは目を開けてそれを確かに知ることだけが残されている。
それは今まで世界で経験してきたこととは全く違っている。
瞑想することで、そのことが次々に証明されていくのだ。
その証明の積み重ねが、目を開いていくことになる。
私自身がそれを認めることだけが、いま残されている」
私は広がっていこうとする感覚の力を必死で抑え込もうとしていた。
そうしなければ、話すということができなくなる気がしたのだ。
私はそこで何も考えずに言葉が口をついて出てくる様子を不思議な気持ちで見ていた。
そして、その言葉に心を震わせていた。
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