超人ザオタル(103)幸せの概念
シュマは少し困惑気味の顔で言った。
「自分を知ることは大切なことだと思いますが、
幸せになることとはまた別次元の話だと思っていました。
自分を知ることはもっと高尚なことなのだと。
幸せになることは現世的で、
何というか、俗な感じがします。
もちろん、私さえその俗なことを求めていて、
幸せにならないことに苛立ってもいます。
その苛立ちを探究という高尚なものに向けることで、
自分自身に収まりをつけようとしている。
しかし、それが幸せにつながっているとは思いもつきませんでした。
それでは、何というか、自分を知ることさえも俗なことになってしまう気がします」
なるほど、そう考えるのはもっともなことだ。
私は話を続けた。
「それでは、最高の幸せとは何でしょうか。
裕福であること、壮健であること、
充実した日々の仕事、気立ての良い伴侶がいる、
そして尊敬され、人々の注目を集め支配すること。
そういった自分の周りの状況を最高に高めることでしょうか。
それは先程も話したように世界のことであり変化するもの。
つまり、それらは常に完全にはならない状況にあります。
もし変化することなく、満たされているのなら、
それは何であれ完全な幸せといえるのではないでしょうか。
それは自分自身の中にあり、まさにそれが自分なのです。
それは世界という環境に左右されることなく、独立して存在している。
自分の中に真の自分を見つけて、
それが自分なのだと理解する。
決して変化することなく、満たされている自分になる。
これが完全な幸せなのではないでしょうか。
真の自分は変化することができず、
満たされないということができない本性を持っています。
そこには幸せを失うかもしれないという恐れさえありません。
さらには、真の自分には幸せという概念すらありません。
それ以外になりようがないのですから、
それをあえて幸せという必要もないのです。
人は幸せを求めています。
それを実現するためには真の自分を見つけることです。
それを見つけて、それ自身になったとき完全な幸せになります。
しかし、そこには幸せになったという感慨はありません。
真の自分には幸せしかありえず、よって幸せという概念がないからです。
この幸せは俗なことといえるでしょうか、シュマ殿」
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