超人ザオタル(108)思考と焦点

そこへシュマがやってきた。

まだ真の自分への興味は失っていないらしい。

神妙な顔で一礼をして、私の傍らに腰を掛けた。

「ザオタル殿、どうも自信がなくなってきました」


開口一番、シュマは力なくそう言って、言葉を続けた。

「瞑想していても、いつも思考に邪魔されるのです。

・・・、気づくと何かを考えています。

真の自分でいることにも注意を向けるのですが、


すぐさまそれは思考へとすり替わってしまいます。

それでか、真の自分でいることも朧気になっていって、

何かはっきりとしません。

むしろ思考の方がはっきりとしています。


こんなことでは駄目だと分かっているのですが、

思考の引力が強すぎて、何ともできないのです。

いや、むしろ思考の心地よさに安堵しているのか。

そうしているのが自分のような気もしてきます。


そうなっていても、真の自分は何もしてくれません。

確かにそこにいると分かってはいるのですが、

思考のような引力があるわけではなく、

それで思考から解かれることもないのです。


私としては、思考がなく、ずっと真の自分としていられること、

それを目指しています。

思考がなければ、それも可能だと思います。

この思考を何とかして止める方法はないのでしょうか」


シュマはそう言い終わると、ひとつため息をついた。

「シュマ殿、瞑想はなかなか一筋縄ではいかないものです。

瞑想者の誰もが、瞑想中の思考を問題視しています。

そして、思考を無くすことはできないというのが結論です。


残念ながら。

もし思考を無くすことができたとしても、

それは思考がないというだけで、

それで真の自分が明白になるわけでもありません。


思考は世界のものなので、その発生を抑えることはできない。

ですから、思考を無くすことに力を使いすぎないことです。

問題は思考なのではなく、焦点なのです。

真の自分から思考へと注意が変わるのは、焦点がそこに飛んでいくからです。


この焦点は落ち着きがないという性質を持っています。

常に新しい対象を見つけて、それをつかもうとする。

この焦点もそれ自体が悪いということではありません。

これがあるおかげで、逆に真の自分にも戻れるのです。


思考に捕まったままではなく、次の瞬間、真の自分に焦点を変える。

これも焦点の落ち着かない性質があってこそのこと。

しかしながら、この焦点をある程度制御しなければなりません。

動き回ろうとする焦点を真の自分に合わせたままにする。


空風瞑想

空風瞑想は真我実現の瞑想法です。瞑想を実践する中で、いままで気づかなかった心の新しい扉を開き、静寂でありながらも存在に満ち溢れ、完全に目覚めている本当の自分をそこに見つけていきます。そうして「私は誰か」の答えを見つけ、そこを自分の拠り所にするとき、新しい視点で人生を見つめることができるようになります。