超人ザオタル(109)焦点の制御
これは焦点本来の性質に抗うことになるため、困難さがあります。
この部分が何よりも厳しい修練となります。
その修練を重ねても、完全に焦点を静止させることは難しいでしょう。
ただ、その修練の間に真の自分を明白にすることができればいいのです。
それが明白になり、そこを自分の拠り所にできたのなら、
たとえ焦点が落ち着かない動きをしていても構わなくなります」
シュマは私の話を聞いて、次第に冷静さを取り戻してきた。
「焦点ですか…。
確かに思考しているときには思考しかない感じがします。
そこにでは真の自分を感じられません。
真の自分でいるときには、それがたとえ一瞬であっても、
そこに思考はまったくありません。
それは焦点のせいだったのですね。
私は焦点の落ち着きの無さに振り回されていた。
しかし、その焦点を制御するにはどうすればいいのでしょうか。
それが厳しい修練だということは分かりますが」
真の自分を「私」にするためにはいくつかの壁がある。
それを乗り越えるには、こうした実践を絶え間なく試みていくしかない。
決して人の考えや偶発的な気づきがそれを為していくわけではないのだ。
それが地に足をつけるということだ。
「焦点はひとつの場所にしか合わせられないという性質があります。
つまり、思考であれば思考だけに、真の自分であればそこだけに。
それはシュマ殿が感じられた通りです。
この性質を利用していきます。
真の自分に合っているときには、その時間を意識的に伸ばしていきます。
それがたとえ数秒だとしても構いません。
その数秒間だけ、焦点を制御したことになります。
その間は真の自分として自覚していられたわけです。
この時間を積み重ねていくことで、自然と真の自分は明白になっていきます。
真の自分としていることは、ある種の特別な状況になっています。
真の自分とは主体のことです。思考は対象です。
焦点は真の自分から思考へと飛んでいきます。
これが思考している状況です。
いまこうしているときも、それは同じで、主体と対象と動き回る焦点がいる。
真の自分でいる時のみ違っていて、そのときこの三つが完全に重なっています。
つまり主体と対象と焦点がひとつになっているのです。
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