超人ザオタル(105)自我と真我

その日は夜に雨が振り、朝から霧がかかっていた。

いつもの場所から見る景色は、白くもやっていた。

木立は灰色の影となり、それは異世界のに幻想のようだった。

あれから、ここしばらくシュマは顔を見せていない。


瞑想を止めてしまったのか、

真の自分を見つけることに興味を失ってしまったか、

ゆっくりとうごめくもやを眺めながら、

私はそんなことをぼんやりと考えていた。


「ザオタルさま」

そうシュマの声がしてはっと我に返った。

「お久しぶりです。

ひとりで静かに瞑想するために山の洞窟にこもっていて、


昨日、里に戻ってきました」

そう話すシュマの顔つきは少し引き締まった感じがした。

「そうですか。いや、何事もなくて良かった」

そう言う私にシュマは微笑み、一礼して私の脇に座った。


「それで、瞑想で何か分かったことはありましたか、シュマ殿」

私は瞑想を続けていたことに安堵して、そう尋ねてみた。

「ええ、真の自分が誰なのか、分かった気がします。

それが私の思い込みなのか、あるいは真実なのか、


それをザオタルさまにお聞きしたくてここに来ました」

シュマはひとつ息をつくと、続けて話し始めた。

「分かったことは、それには姿形がないということ。

それでもそれは明らかに存在しています。


思考や物語に意識が向かってしまっても、

身体感覚や感情につかまってしまっても、

それは必ずそこにいます。

それが不在になることがないのです。


それは決して消すことができないものです。

これがザオタルさまの言っていた真の自分なのだと思いました。

しかし、いままでの自分はどこに行ってしまったのか。

これが自分だと思っていたものが消えてしまっています。


いや、もしかするとこの真の自分がいままでの自分なのではないか、

そう思いました。

しかし、それでは真の自分とは自我のことになってしまいます。

真の自分と自我は違うものなのか、同じなのか。


そのあたりのことがよく分からなくなってきました。

この存在しているという感覚は真の自分なのでしょうか、

それとも、それはまだ自我であって、

ただ自我が真の自分だと主張しているに過ぎないのでしょうか。


これにについてどう考えればいいのでしょうか、ザオタルさま」

シュマは自信のなさそうな顔をして私を見た。

「シュマ殿の瞑想で感じ取った存在は、真の自分で間違いありません。

それは新たに獲得するものではなく、以前から知っている感覚です。


いままで、それをあえて感じようとしてこなかったために、

その自分感覚の発現によって、自我には戸惑いが起こります。

いったいこれは何者なのかと。

まるで知らぬ間に我が家に誰かが住み着いていたような、


そんな不気味さをも感じるかもしれません。

自分の中に自分が二人いることなどないからです。

自分はひとりしかいないはず。

いままではそれが自我だと思ってきました。


空風瞑想

空風瞑想は真我実現の瞑想法です。瞑想を実践する中で、いままで気づかなかった心の新しい扉を開き、静寂でありながらも存在に満ち溢れ、完全に目覚めている本当の自分をそこに見つけていきます。そうして「私は誰か」の答えを見つけ、そこを自分の拠り所にするとき、新しい視点で人生を見つめることができるようになります。