超人ザオタル(114)「私」への扉

「私」とは誰なのか。

誰もがその答えを求めて、何者かになろうとする。

それは世界の意志なので尊重しなければならない。

だが、この世界にその答えはないのだ。


答えは世界を超えたところにある。

世界にその答えを見つけようとする限り、絶対に見つからない。

好きなことは見つかるかもしれないが、それは決して「私」ではないのだ。

このことは、「私」が世界にはいないことを意味する。


世界を超えるとはどういうことなのだろうか。

それは世界が始まる前に戻るということだ。

そこは完全に静止していて、空間も時間もない。

エネルギーもなければ、光さえもない。


それはいったいどこにあるのだろうか。

それは心の奥にある。

そこには固く閉じられた古い扉がある。

そこへの道筋はあるのだが、あまり通った形跡はない。


多分、多くの人はそこに赴くことに意味を見いだせないだろう。

このまま、この明るい世界を旅していればいいではないかと思う。

そこで幸せな体験をすれば、一瞬でも心満たされるのだ。

たとえ不完全でも、ここにはそんな生きる楽しみがある。


しかし、その古い扉は誰の心の奥にもあるのだ。

そして、その扉の向こうが世界の始まる前であり、

そこに真実の「私」がいる。

結局のところ、私たちは誰もがそれを見つけようとしている。


その扉を開けるのは、「私」が世界にないと認めたときだ。

そう率直に認められる精神の成熟を待たねばならないだろう。

何度も時の中で転生を繰り返し、

世界には「私」がいないことを確かめた結果としてその時は訪れる。


そうなってはじめて、心の扉と向き合える。

しかし、それでも扉を開けるには恐れがつきまとう。

もしそこに期待する「私」がいなかったらどうするのか。

まさにこれが最後の機会であり、もう他に選択肢はないのだ。


もしその恐れに屈すれば、扉の前から世界に戻ってしまうだろう。

完全な絶望よりも、刹那的な幸福のほうがましだと思うのだ。

その扉のことは忘れて、世界で楽しむことに没頭する。

そこには仲間がいて、みんながそうしているという安心感もある。


空風瞑想

空風瞑想は真我実現の瞑想法です。瞑想を実践する中で、いままで気づかなかった心の新しい扉を開き、静寂でありながらも存在に満ち溢れ、完全に目覚めている本当の自分をそこに見つけていきます。そうして「私は誰か」の答えを見つけ、そこを自分の拠り所にするとき、新しい視点で人生を見つめることができるようになります。